霞が関パートナーズ法律事務所の弁護士伊澤大輔です。

 

近年、不動産取引において、買主が手付解除の申し入れをしたのに対し、売主から、既に履行に着手しており、手付解除はできないと主張され、争われることが多くなっています。

 

 

民法第557条1項には、「買主が売主に手付を交付したときは、当事者の一方が契約の履行に着手するまでは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を償還して、契約の解除をすることができる。」旨定められていますが、この「履行の着手」の具体的な判断基準が必ずしも明らかでないことから、問題となるのです。

 

判例(最高裁昭和40年11月24日判決)は、この条項の趣旨を、履行に着手した当事者が不測の損害を蒙ることを防止するためのものと解し、「履行の着手」を「債務の内容たる給付の実行に着手すること、すなわち、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をなし、または履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合を指す」と判示しています。

そして、「履行ノ着手」に当たるか否かについては、当該行為の態様、債務の内容、履行期 が定められた趣旨・目的等諸般の事情を総合勘案して決すべきである。」と判示しています(最高裁平成5年3月16日判決)。

 

売主に「履行の着手」があったと認められた事例として、以下のものがあります。

・ 売買の対象建物が賃貸されており、売買契約上、所有権を買主に移転するまでに、売主(賃貸人)が賃借権等を消除する義務を負っていた場合に、売主が賃借人との間で、売買物件の賃貸借契約の明渡・立退料支払い合意、残置物件等買取合意をしたとき(東京地裁平成21年10月16日判決)

・ 売主が、道路を含む隣接土地の境界を確定する作業や、転居先のリフォーム工事の着手をしたとき(東京地裁平成21年9月25日判決)

・ 売主が、売買の対象建物に設定された抵当権を抹消する義務をおっていた場合に、抵当権を消滅させるために借入金の全額を返済したとき(東京地裁平成21年11月12日判決)

 

他方、売主に「履行の着手」があったことを否定した事例として、以下のものがあります。

・ 売買契約締結の当日に行われた鍵の交付(転売目的で売買契約を締結した買主が販売活動を行う便宜のためのものであり、履行期以前に不動産の引渡しを受ける趣旨で鍵の交付を受けたものでないことは明らかであるとした。東京地判平成20年6月20日判決)

・ 売主が売買契約の履行期日の3日前にした、司法書士への登記手続の委任、固定資産評価証明書の取得、領収証の作成(単なる準備行為にすぎず、「履行の着手」には該当しないとした。東京地裁平成17年1月27日)