オフィスの原状回復

 

虎ノ門桜法律事務所の代表弁護士伊澤大輔です。

 

最近、オフィスの賃貸借契約に関し、どこまで原状回復をする必要があるのかというご相談がありましたので、今回は、裁判例を概観しながら、オフィスの賃貸借契約における原状回復の範囲や、諸問題について説明させていただきます。

 

居住用のアパート・マンションと異なり、オフィスの賃貸借に関しては、消費者保護を考慮する必要がありませんし、市場性原理と経済合理性の支配するオフィスビルの賃貸借では、比較的、賃借人の原状回復義務が認められやすい傾向にはあります。

 

しかしながら、実務的には、オフィスビルが新築か中古か、オフィスビルの規模、原状回復条項の内容等を個別に検討する必要があります。

 

■通常損耗・汚損についても原状回復義務を負うか?


 

 

(東京高裁平成12年12月27日判決)

 

当該判決は、以下のように判示して、オフィスビルを新築の状態で借り受けた賃借人には、「契約が終了するときは、賃借人は賃貸借期間終了までに造作その他を契約締結時の原状に回復しなければならない。」旨の原状回復条項に基づき、通常の使用による損耗、汚損をも除去し、建物を賃借当時の状態にまで原状回復して返還する義務があるとしています。

 

一般に、オフィスビルの賃貸借においては、次の賃借人に賃貸する必要から、契約終了に際し、賃借人に賃貸物件のクロスや床板、照明器具などを取り替え、場合によっては天井を塗り替えることまでの原状回復義務を課する旨の特約が付される場合が多いことが認められる。オフィスビルの原状回復費用の額は、賃借人の建物の使用方法によっても異なり、損耗の状況によっては相当高額になることがあるが、使用方法によって異なる原状回復費用は賃借人の負担とするのが相当であることが、かかる特約がなされる理由である。

 

もしそうしない場合には、原状回復費用は自ずから賃料の額に反映し、賃料額の高騰につながるだけでなく、賃借人が入居している期間は専ら賃借人側の事情によって左右され、賃貸人においてこれを予測することは困難であるため、適正な原状回復費用をあらかじめ賃料に含めて徴収することは現実的には不可能であることから、原状回復費用を賃料に含めないで、賃借人が退去する際に賃借時と同等の状態にまで原状回復させる義務を負わせる旨の特約を定めることは、経済的にも合理性があると考えられる。

 

(最高裁平成17年12月16日判決)

 

しかしながら、その後、最高裁平成17年12月16日判決は、次のように判示しました。

 

賃借人は、賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ、賃貸借契約は、賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり、賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。

 

それゆえ、建物の賃貸借においては、賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている。

 

そうすると、建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。

 

これは居住用賃貸借のケースですが、賃貸借の契約の本質から論じており、その考えは、オフィスの賃貸借にも適用されると考えられます。実際、次の大阪高裁判決をはじめ、多くの下級審裁判例において、最高裁平成17年判決の法理が、オフィスの賃貸借にも適用されることが認められています。

 

 

(大阪高裁平成1 8年5月23日判決)

 

賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものであって、営業用物件であるからといって、通常損耗に係る投下資本の減価の回収を、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行うことが不可能であるということはできず、また、被控訴人が主張する賃貸借契約の条項を検討しても、賃借人が通常損耗について補修費用を負担することが明確に合意されているということはできない。

 

(東京簡裁平成21年4月10日判決)

 

また、東京簡裁の上記判決は、次のように判示して、オフィスビルの賃貸借においても、賃借人に通常損耗についての原状回復義務を負わせるためには、明確な合意が必要であるとしています。

 

オフィスビルの賃貸借契約においても、通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、原則として、賃料の支払を受けることによって行われるべきものである。賃借人に通常損耗についての原状回復義務を負わせることは賃借人にとって二重の負担になるので、オフィスビルの賃貸借契約においても、賃借人に通常損耗についての原状回復義務を負わせるためには、原状回復義務を負うことになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、賃貸人がそのことについて口頭で説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約が明確に合意されていることが必要であると解すべきであり、このことは居住用の建物の賃貸借契約の場合と異ならないというべきである。

 

(東京簡裁平成17年8月26日判決)

 

東京簡裁平成17年8月26日判決は、次のように判示して、事務所としての利用であっても、利用実態として、居住用の賃貸借契約と変わらないような場合には、ガイドラインに沿って原状回復費用を算定すべきとしています。

 

東京高裁平成12年12月27日判決における賃貸物件は保証金1200万円という典型的オフィスビルであり、しかも新築物件である。それに比して、本件物件は、仕様は居住用の小規模マンション(賃貸面積34.64㎡)であり、築年数も20年弱という中古物件である。また、賃料は12万8600円、敷金は25万7200円であって、事務所として利用するために本件物件に設置した物は、コピー機及びパソコンであり、事務員も二人ということである。このように本件賃貸借契約はその実態において居住用の賃貸借契約と変わらず、これをオフィスビルの賃貸借契約と見ることは相当ではない。すなわち、本件賃貸借契約はそれを居住用マンションの賃貸借契約と捉えて、原状回復費用は、いわゆるガイドラインにそって算定し、敷金は、その算定された金額と相殺されるべきである。

 

■原状とはスケルトン状態か?オフィスの標準仕様か?


 

 

東京地裁平成29年3月27日判決判決は、賃貸借契約締結前の状態がスケルトン状態であったのに対し、契約書案の別紙区分表には、具体的なオフィスの標準仕様が定められており、どちらの状態に戻すのが原状回復かが争われた事案につき、

 

契約が定める原状回復義務は、「区分表における標準仕様」を「原状」とみなして、これを前提とする原状回復義務を賃借人に負わせるものであるところ、この区分表の標準仕様としては、オフィス仕様の建築・内装、設備が具体的に指定されており、かつ、この区分表は、契約書(案)の別紙として事前に賃借人の取締役にメール送付されていることが認められるるとして、賃借人は、原状回復とは契約締結前の状態(スケルトン状態)に戻すものにほかならないと主張するが、これと異なる明示の合意がされている以上、当該合意に従うべきことは当然であり、賃借人の上記主張は採用できないとし、賃借人は、原状回復義務として、賃借人の主張するスケルトン状態への回復ではなく、賃貸人の主張するオフィス仕様に変更する工事を行う必要があったというべきであると判示しています。

 

■賃貸人は、未施工の原状回復費用を保証金から控除できるか?


 

 

東京地裁平成29年9月6日判決は、原状回復条項には、賃借人が建物の明渡し時に原状回復の処置を執らなかったときは、賃貸人が賃借人の費用で原状回復の処置を執ることができる旨を定められていたが、賃貸人が原状回復工事をすることなく新賃借人に建物を貸し渡し、新賃借人が新内装工事をし、賃貸人が原状回復費を現実に支出しなかったという事案ですが、

 

未施工の原状回復工事に係る原状回復費を保証金から控除することができると解する合理的な理由は見当たらないとして、賃貸人が、未施工の原状回復費用を保証金から控除することを否定しています。

 

■賃貸人が賃借人の代わりに行った原状回復工事の費用は少しでも安価でなければならないか?


 

 

東京地裁平成29年1月18日判決は、原状回復工事は、本来であれば賃借人において行うべき工事を賃貸人が行ったものであり、賃貸人において少しでも安価な費用で工事を行う義務があるとはいえないから、その費用が不相当に高額でない限り、原状回復費用を敷金から控除することが許されると判示しています。